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入れてあげて欲しいけど

東京大学の本郷キャンパスと浅野キャンパスに挟まれた住宅街。その中の本郷キャンパスに道路を隔てて面したある住宅の壁には、写真1のようなレリーフが埋め込まれています。

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「東京大学医学部戦没同窓生の碑」

数えたことはありませんが、氏名と戦死した戦地が記されています。
志半ばで斃れた若者の意志を救い上げ、労わるかのような碑です。
私はこの碑が東大の中に入れて貰えない理由が分かるような気がします。志半ばで散った命は戦争だけが理由ではないはずです。戦争に参加した人だけを特別扱いする訳にはいかないのでしょう。ましてや左翼の牙城として京大と双璧を成す東大の教授連が、右翼を勢い付かせるような象徴を設置することに対して納得するはずもありません。
敵味方に関係なく、身分に関係なく生命を救う事を旨とする医学部の在りようとは相容れないのかもしれません。

しかしながら思うのです。
分かってはいるけど思うのです。

「入れてあげようよ。」

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それが叶わないのであれば、せめてこのまま安田講堂の見える地で、暖かな陽射を浴びながら、志の照り返しを続けて貰いたいと思います。

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全文------------------------------------------------------

東京大学医学部戦没同窓生の碑

 昭和六年(1931)から昭和二十年(1945)まで十五年にわたる戦争(満州事変、日中戦争、太平洋戦争)で東京大学医学部は同窓生の中から二〇〇人を越える多数の戦没者を出した。彼らの多くはアリューシャン列島アッツ島からニューギニア、ガダルカナル島、中国、東南アジア沖縄に拡がった戦火の中で、また広島・長崎で医療従事中に原子爆弾の劫火に斃れた。
 私たち医学部卒業生有志はこの事実を悲しみ、これを後世に伝えるべく、基金を組織して戦没者と戦没地の調査を行い、同窓会鉄門倶楽部に医学部構内への追悼碑建設を提案した。同倶楽部はこの事業の実行を決議して医学部教授会の承認を求めたが、未だその採決に至らず、いまや戦没世代同窓生は碑の完成を見ることなく世を去ろうとしている。
 この「東京大学医学部戦没同窓生の碑」は、戦後最初の総長南原繁戦没学徒哀悼の志を挙げ、この地にお住まいの鹿野家の皆様から温かいお心をいただいて建立するに至ったのであって、避けがたい状況下に、愛する人々のために一命を捧げた若者たちのいたましくも悲しい事実を歴史に刻む碑である。

私たちは戦没同窓生への思いを戦いに斃れた友を担って母校帰り来る学友の群像に託し、近い将来同窓会鉄門倶楽部の決議が実行され、この碑が医学部構内に移築されることを期している。
 新世紀最初の東京大学祭の今日、ここに同志あい集ってこの碑を建立し、音楽と花を捧げて深い哀悼を世に伝える。

平成十三年五月二十七日
東京大学医学部戦没同窓生追悼基金
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