もーったいない(も~ったいない)
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さっつんが昨年末から一緒に演らせて頂いてるアコースティックバンド「NO BRAND」ライブのお知らせです。
40分くらいですが、よろしければお付き合い下さいませ。
日時:4月26日(土) 12:00 open 12:30 start
(僕らはトップバッターで、12:30からです)
場所:高田馬場 四谷天窓 comfort
http://www.otonami.com/comfort/
主催:JASOA
協賛:YAMAHA
チケット:¥2,000(全席自由税込み) (ドリンク別)
チケット代は会場でのお支払となります。
(入場時にノーブランドの応援と言って下さい)
問合せ:JASOA 03-3327-6911
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昨日は昼間の仕事が順延になってしまったので、同じくバイトが休みでヒマこいてる娘と秩父方面をドライブして来ました。
生憎の雨でしたが、この親子はそういうことに関係なく出かけるのでございます。
秩父に向かう道すがら顔振峠に上ってみると、下界は殆ど霧で見えませんが、それでも場所によっては山と雲が織り成す景色を垣間見ることになります。娘だけね(笑)
北の平野部から一気に上り来る空気が冷やされて、手の届くところを雲が通過する場所もあります。そんな眺めをただ見るだけで楽しい馬鹿な親子でございますよ。
平野部は啓蟄なのかもしれませんが、山はまだまだ寒いです。
窓から顔を出していた娘が「あれ?いててて」「いて!いててて♪」とか言い出しました。
気が付くと雨からみぞれに変わっていましたよ。まだ「いててて♪」とか、楽しそうです。
この峠越えの道では、以前残雪にタイヤを取られてしまい、娘に滑り止めの砂を持ってきて貰って脱出したことがありました。今日もノーマルタイヤなので、あの時の二の舞は御免とばかりにあわてて下界へ降りました。
一昨年・昨年とカモシカを目の前でみた場所に行って見ることにしました。
埼玉、群馬、山梨の3県の県境に近い方面ですが、山間部に入り込むとたちまち雪景色に。
(;´Д`)段々ヤバくなってきた![]()
一年中日陰なのね![]()
カモシカの姿が見えないので、雪で道が凍結する前に脱出することにしました。
何も収穫が無いと思ったら、秩父湖の湖畔で鹿を見つけましたよ。仲間がいると鋭い声を上げるのですが、一頭だけのようでした。
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先ほど仕事を終えて帰宅したのでありますが、ベランダから私を見つけた娘のミミが、ニャーニャーとアピールしている。
「なにやってんのよ!」
「遅いじゃないの!」
「早くアタシを入れてよ!」
「どんだけ待たせるのよ!」
と言ってるように聞こえる。
が、しかし....
僕の部屋の窓を開けてやっても入ってこないし、しきりに前の空き地を気にしている。
そういや確かに他のネコの気配がする。
試しに気配のする方角に向かって、何回かシャッターを切ってみた。(フラッシュはテキトー)
ああ!ヽ(__ __|||)… 猫が三匹もこっちを見ている。
うちのミミはおよそ10歳。
オスの気をキスマークハート達(複数ハート)散々引いておきながら、いざオスが近付こうものなら、
「寄るんじゃないわよ!」
「勘違いしないで!あたしそういう女じゃないわ!」
と甲高い声を上げて騒ぎまくるのだ。根性悪~いむかっ(怒り)
恐らくこの3匹も被害者に違いない(笑)
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今の場所に引っ越してきてから、かれこれ20年になるかな。
僕の家は駅から歩いて7分程度の距離だけど、20年前でも自然はいっぱいあった。
航空写真で見たら雑木林と茶畑と家屋がモザイクみたいになっていたのだろう。
その頃はすぐ隣には雑木林があったおかげで、夏は涼しかったけど、大木から落ちてくる花や木の実の後始末が大変だったし、いつもジメジメしていたので、植えた芝はあっという間に枯れてしまった。
また、いろんな生物(想像してね)を育んでいたので、子供が喜ぶ虫も多い代わりに、困った生物もまたゾロゾロと出没したものだった。
梅雨のある日、車に乗ろうとして取っ手に手を突っ込んだら、グニュっという感触に悲鳴を上げたことがある。ナメクジ君だった。そういうこともあったが、娘には最高の環境だった。
雑木林の木はほとんど無くなって草ボーボーの今でも、娘の部屋の窓からは四季を通してささやかな営みを見ることができる。普段はネコが通るだけだが、ときおりタヌキも通る。^^;
うちの嫁さんはネコにやるように指を出していたら、軽くかじられたと言ってた。野生動物にしては珍しいこともあるもんだと思ったけど、おそらく好奇心いっぱいの子だぬきだったのだろう。狂犬病などの病原菌が入ったらどないすねん!ったく、ブツブツ.....
一ヶ月ほど前、すぐ近くで動物同士がいがみ合う声が聞こえる。犬やネコとは違った声なのでタヌキだとすぐ分かる。あまりに長いことうるさかったので、近所の男性が「うるさい!」と怒鳴ったら、二匹のタヌキが逃げていったそうだ。うちで飼っている小柄なネコが食い殺されなきゃいいなと心配しているのだが、うちのネコは一番体が小さいのに声だけはメチャメチャでかい!しかも甲高い。オスが寄ってくると死にそうな声を上げて威嚇するので、ご近所迷惑であることこの上ない。
さて、そのタヌキの住む範囲がこのところ極端に狭まってきた。昨年久々に近所を散歩して気付いたのだけど、以前は雑木林であった場所に新築の家がいくつも建っている。数箇所の雑木林が消えてなくなっていた。しかも数年前にバイパスが近くを通ってしまった為に、多摩湖方面へ行くこともできなくなってしまった。
それでも僕の家の周辺だけは、タヌキの住めそうな最後の空間がいくつか残っていたのだが、そのうちの一つが突然消えた。竹林が消え、大木も枝を切り落とされて、後は細かく切られてどこかに棄てられるのを待つのみだ。夕日の中で無残な姿が悲しい。
東京大学の本郷キャンパスと浅野キャンパスに挟まれた住宅街。その中の本郷キャンパスに道路を隔てて面したある住宅の壁には、写真1のようなレリーフが埋め込まれています。
数えたことはありませんが、氏名と戦死した戦地が記されています。
志半ばで斃れた若者の意志を救い上げ、労わるかのような碑です。
私はこの碑が東大の中に入れて貰えない理由が分かるような気がします。志半ばで散った命は戦争だけが理由ではないはずです。戦争に参加した人だけを特別扱いする訳にはいかないのでしょう。ましてや左翼の牙城として京大と双璧を成す東大の教授連が、右翼を勢い付かせるような象徴を設置することに対して納得するはずもありません。
敵味方に関係なく、身分に関係なく生命を救う事を旨とする医学部の在りようとは相容れないのかもしれません。
しかしながら思うのです。
分かってはいるけど思うのです。
「入れてあげようよ。」
それが叶わないのであれば、せめてこのまま安田講堂の見える地で、暖かな陽射を浴びながら、志の照り返しを続けて貰いたいと思います。
全文------------------------------------------------------
東京大学医学部戦没同窓生の碑
昭和六年(1931)から昭和二十年(1945)まで十五年にわたる戦争(満州事変、日中戦争、太平洋戦争)で東京大学医学部は同窓生の中から二〇〇人を越える多数の戦没者を出した。彼らの多くはアリューシャン列島アッツ島からニューギニア、ガダルカナル島、中国、東南アジア沖縄に拡がった戦火の中で、また広島・長崎で医療従事中に原子爆弾の劫火に斃れた。
私たち医学部卒業生有志はこの事実を悲しみ、これを後世に伝えるべく、基金を組織して戦没者と戦没地の調査を行い、同窓会鉄門倶楽部に医学部構内への追悼碑建設を提案した。同倶楽部はこの事業の実行を決議して医学部教授会の承認を求めたが、未だその採決に至らず、いまや戦没世代同窓生は碑の完成を見ることなく世を去ろうとしている。
この「東京大学医学部戦没同窓生の碑」は、戦後最初の総長南原繁戦没学徒哀悼の志を挙げ、この地にお住まいの鹿野家の皆様から温かいお心をいただいて建立するに至ったのであって、避けがたい状況下に、愛する人々のために一命を捧げた若者たちのいたましくも悲しい事実を歴史に刻む碑である。
私たちは戦没同窓生への思いを戦いに斃れた友を担って母校帰り来る学友の群像に託し、近い将来同窓会鉄門倶楽部の決議が実行され、この碑が医学部構内に移築されることを期している。
新世紀最初の東京大学祭の今日、ここに同志あい集ってこの碑を建立し、音楽と花を捧げて深い哀悼を世に伝える。
平成十三年五月二十七日
東京大学医学部戦没同窓生追悼基金
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先日の5月10日。
最近娘は近所のバイト先に出かける以外はひきこもり状態なので、海に連れ出しました。車も買ってから殆ど乗っていないので、出かける口実ができて良かった。
ほいでは出発。
午前4時には東の空が明るくなりかけてました。
ナビを「荒崎」で検索してセットしようとするとエラーになりました。いきなりアクシデント!かと思いきや、よく見たら山口県の島のようです。
で、三浦半島にセットして無事出発。
3時間くらいかかるかと覚悟していたんですが、5:45には着いてしまいました。
地元の魚市場に入ってみましたが誰もいません。
そういやオコボレを狙うトンビが全く飛んでいませんでした。
がっかりです。去年は真鶴半島でマンボウやらシュモク鮫やらを思う存分触ることができたのに。
気を取り直して、その先にある駐車場へ。
行ってみたら入口が閉まっていて、あと2時間マテと?
待つのもアホらしいので、そのへんに車を放置して海岸に出てみました。海上の視界は5km位。
1時間ほど暇をつぶして駐車場に戻ってみると、係員が来てました。なんでもTVの撮影があるので早くから開けてくれるとのこと。丁度そこに業界の機材車が到着したので、私もついでに入れて貰えました。
続々とTV撮影の車が到着しましが、そんなことに関係なく娘はさっさと行ってしまいました。
網とバケツを持って後を追う可哀想なパパ。
残念ながら磯は満潮で、しかも風もうねりも強くなって来ました。東映の「岩にドッパーン!」状態ですよ。
娘がわずかな砂浜に漂着したクラゲを見つけて手に載せていましたが、それを見てびっくり!
猛毒のカツオノエボシじゃん! やべぇ~!
はいはい、青くてとてもきれいなんですよ。でもね、死人も出るくらい猛毒。でも娘は初めて実際見るカツオノエボシに感激してました。海岸のあちこちに漂着してました。長く伸びた触手がうにょうにょ動いてます。
誰も見てなきゃ持ち帰りたいくらい大きいさざえ。
向こうで撮影が始まっているようです。崖から落ちるシーンやら水着で崖っぷちに立つシーンの後、不良グループみたいな黒い服に金髪に染めた役どころの何人かが、海に向って叫ぶシーンを何度もやってましたよ。こちらに向かって(笑)
で、本日の獲物は
フグ二匹、ハゼ二匹、カニ一匹、稚魚無数、フナムシ一匹
撮影して食い逃がしました。
僕はトロいけど、娘は網で掴まえるのが天才的に上手い。
風も波も強くなってきたので海岸を離れ、三崎まで足を延ばして「まぐろ親子丼」ってのを食しました。
大きなマグロもこんな小さい卵なんですね。
帰りは混みました。ごとび(五十日)ですもんね。
いやぁ~自分でHP更新したのは何年ぶりでしょう ^^;
http://homepage2.nifty.com/SATSUMA/mrc.htm
約30本のネガフィルムをCDに焼いて貰いました。
1本500円でした。
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先日さっつんは娘と山のドライブに行って来ました。
こいつきひこもりのくせに、何故か山とか渓谷に行くとワイルドになる。
それはさておき、ときがわ町の堂平山には元東大宇宙研究所の天文台があります。久々にそこまで行ってみました。霞が掛かって下界はほとんど見えなかったのは残念です。
以前ここに来たときは、天文台の敷地は立ち入り禁止だったのですが、いつの間にか入ってもOKになっていました。ラッキー!
で、駐車場に車を置いて、建物に向かって登ってみました。娘は勝手に侵入して怒られないかと心配していましたが、さっつんはどうも好奇心が旺盛なので、怒られたら出ればいいやという感じです。
入口は閉まってました。でも張り紙があって、管理人さんに開けてもらうと自由に見学ができるみたいです。
そういや少し下に管理人小屋があったけど、誰もいなかったなあ。
娘がそこらを飛び回っている間に、私が管理人さんをさがしていると、植樹した苗木に肥料をやっている人がいて、あちらから「こんにちは」と声を掛けられました。
「こんにちは。管理人さんていらっしゃらないんですか?」
「あ、私です。」
「天文台の中を見せて頂けるんですか?」
という会話があって、見せて頂けることになった。
管理人さんと一緒に中に入ると、見るからに古い ^^;
昭和37年に竣工したそうだ。
一時期望遠鏡は明石の天文台に移され、その後明石には新しい望遠鏡が導入されたので、お払い箱になってここに戻って来たそうだ。
重さ10トン
91cm望遠鏡本体はNikonが製作。
凹面鏡のスペアを持たせて頂いたが、重かった ^^;
操作はできなかったが、関係者以外上がれない天文台のドームの可動部分に上らせてもらったり、
操作部は古い機械と新しい機械が混在する。
鏡やフレームの歪みを防止する意味で、温度は一定に保たれる。
下からも見せて貰うと、
ここは一般の人でも宿泊できるきれいな部屋もある。
5-6人で使ってもたったの13000円(一部屋)
風呂場から見る下界の夜景は最高だとか?
でも寒いよ。雪がまだ残ってるし~
その他ロッジやゲル(モンゴルの移動式テント)に泊まることもできる。
3月21日、さっつんは青春18切符で一人旅に出発した。
人身事故の影響で敦賀には遅れて着いた。
到着前には乗り換え案内の車内放送があり、僕が乗る予定の小浜線の列車は、既に離れたホームに到着ていた。
着いたホームから連絡地下道に降りる階段までがめちゃめちゃに遠い。
さっつんはトップで走り抜けたけど、高齢や体の不自由な人にはかなりの負担でしょうね。これからもっと高齢化社会になるってのに....
地下通から乗り換え用ホームへの階段を上がろうとしたところで、ホームから降りてきた駅員が
「あれ?行っちゃった」というような独り言を言ってた。
ンな馬鹿な、と思いつつホームに駆け上がると、そこには列車が......
いねーーーーーーーっ!
たった今まで居たじゃん!待っててくんないの?
乗り換え時間が少ないから急げとか社内アナウンスしておきながら、乗せないで発車?
都会ならいざ知らず、次の列車まで2時間待ち?
冗談じゃねーよ!
今日中に城崎まで行きたいのに、明日以降の計画が全部計画変更だよ~。
この後、総勢5名が次々とホームまで上がって来て、事態を知ると怒りをあらわに。
放かされたのは全員旅行者で、僕達は駅務室に押し掛けて抗議した。
大きな遅れなら次の列車でも仕方がないが、アナウンスに従って走った乗客を積み残して発車するってどういうことよ?連絡ミスだろ。今すぐここへ戻せ!そうでなけりゃインターネットでこの場で発表する。(mixiの日記だけどね)
と、こちらは怒りに任せて言いたい放題。
昔はフラリと途中下車するのが楽しかった。
つなぎが良くない乗り換え駅の外を歩くのって楽しい。ところがね、今回はダイヤがあまりにも無駄が無さ過ぎて、おまけに調子に乗って、その日の限界到達駅である城崎に宿をネットで予約しちゃった。
で、城崎まで行かれないと、その後の鳥取砂丘→出雲大社→萩→津和野、の日程を組み直ししなくてはならならず、譲れないという事情があった。
敦賀に見どころでもあれば、それもまた一興だったのだけど。
駅長が出てこない代わりに、見た目が初老の係長という人が出てきて
「今金沢の上長と連絡を取っている」
「タクシーで小浜までお送りする(料金は当然JR負担)」と。
ちなみに小浜駅は敦賀と東舞鶴の中間にある駅で、その先に行く乗り継ぎの列車は東舞鶴まで行かなければ無い。
ってことは全然意味ねーじゃん!厄介払いしたいだけだろ。
ところが時刻表を見ると、3日前のダイヤ改正でさっきの列車が小浜駅で29分も停車することになっている。
「では小浜駅までタクシー行く私達を、電車は待っていてくれるのか?」
と尋ねても
「いやそれは....」
まるで人ごとのような返事。
ぶちキレそうだったが、時間が無いので言いたい事を全て飲み込んで、私達はタクシーで50km離れた小浜駅に向かった。
敦賀駅は厄介払いできて良かったかもしれないが、こちらは間に合わなかった場合には泣き寝入りなのだが。
で、敦賀駅の初老の係長ね、タクシーのドアが閉まって走りだすときに、まったく我々と目を合わさない。
普通は送り出す時に締めくくりにはお互いに(特に迷惑をかけた側なら)目礼のひとつもするべきでしょう。私だって努力してくれたことに対しては、礼の気持は表明したかった。
しかしこのオッサン、厄介払いした安ど感なのか知らないけど突っ立っているだけ。
アンタね、サービス担当なんだからさ、もうちっとそれらしく振舞ってよ。
18000円!
それがJRの出せる上限みたい。事前に駅とタクシーの間で価格交渉があったみたいで、途中で料金メーター倒して走ってた。この料金交渉がモタつかなかったら、こちらもヤキモキしなかったんだけど。
駅長が最後まで出て来なかったのは、金沢にあるという本部の決済を受けるために電話していたと思いたい。
でもって、5人の客は全員青春18切符(この春だけ5日間8000円)だったので、JRは大損だわ。
さて、敦賀の市内を走りだして運転手さんが一言
「あれ?今日は車多いな」
そう、今日は春分の日で休日。一般ピープルの皆さんがチョロチョロと走り回るので、少々混んでいる。
おまけに!二か所で道路工事してるし。そういや3月だっけか。お役所の帳尻合わせの月でもあったな。
で、このタクシーの運転手さん頑張ってくれた。
どう頑張ったのかは具体的には書けないが、とにかく頑張ってくれた。
丁度列車が出発する時刻ぴったりに小浜駅に着いた。
私は荷物をタクシーに積んだまま、その列車を背景に立っている改札口の駅員さんのとこまで息せき切って走った。
「あの、私達のこと敦賀駅から聞いてますか?手違いで出ちゃったのでタクシーで追いかけて来たんです。」
「いえ、聞いてないです」(げげ!あの敦賀の駅員め!)
「とにかく止めて!」
その時列車が走り始めてしまった。もうだめだ。
と、思ったら駅員さんが停止のボタンを押したのか、列車は少し先で止まってくれた。
「どうぞ」 (わりとサラっと言ってくれた)
ありがとうと言ったかどうかも覚えていない。
タクシーに同乗した他の人が私の荷物も降ろして持って来てくれたので、そのまま改札を抜け、陸橋を駆け渡り列車に飛び乗った。
間に合った!
タクシーの運転手さん、小浜の駅員さん、列車の運転手さん、ありがとうございました。
敦賀駅の駅員のバカヤロー!鉄道マンの恥さらし!
(タクシー代はJR負担だけど ^^;)
と、心の中で叫びながら、他の乗客の冷たい視線の中で息を整えたのでした。
私の怒ったのは、鉄道マンの仕事内容も含めた鉄道ファンとしての気持ち。
僕らの小さい頃の憧れの職業の一つだった鉄道マンのプライドはどこに行ってしまったのよ?
気の緩んだ鉄道マンが許せなかった。
ここは福知山線の事故を起こしたJR西日本のエリア。
米原に着いて乗り換える列車が大阪方面から来ることや、影響している人身事故が神戸あたりで起きたということもあり、嫌でも意識させられた。
実は米原から敦賀の間で、JRはダイヤの正常化に向けた時間調整と同時に、その先の乗り継ぎ列車への乗客の便宜を図るために他の連絡列車の到着を待ったりと、JRは一生懸命努力していた。
パズルのような作業なのに、それはそれはみごとなものだ。
で、敦賀駅のミスですよ。
このケースでは単なる連絡ミスのようだけど、そのミスの先にある事故やモラルの低下、事故の遠因となる人員削減や人的質の低下。そういったものが頭を駆け巡った。
日本の鉄道は世界一! 日本人のプライドの一つだと思っていたのが裏切られたのが許せなかった。
それとね、
全速力で走ったのに行っちゃったという恨みが重なりました。(笑)
チャンチャン♪
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あまりに有名なので、ひっそりと書かせてもらう。
さっつんは何度これを見て泣いたことだろう。「めぞん一刻」はラブコメの最高傑作。
昭和55年某日。東京のどこか(東久留米?)にある、老朽化した二階建て木造アパート「一刻館」に住む、おかしな人々に囲まれて暮らしている浪人生。そこに20歳過ぎの未亡人が、住み込み管理人としてやってくるところから始まる。第一回のドタバタ展開からは、感動の最終章は絶対に想像できない。
最初はおかしな住民の住むオンボロアパートで巻き起こる、ドタバタコミックのつもりで始まった連載だったのかもしれない。
物語は浪人生の五代が三流大学の4年間を経て、卒業の後保育士の道を得て響子を娶るまでの、人間的な成長と一途な愛の過程が描かれる。響子を巡って強力なライバルや美少女の誘惑、そして足を引っ張りまくる一刻館の住人達。
一方の響子は、高校卒業後間もなく9歳年上の恩師と結婚したが、半年も経たぬうちに死別し、その悲しみを背負って一刻館にやってきた。死別した夫への頑なとも言える想いが、二人の男性の求愛を受けて少しづつ確実に揺れ動いて行く。
荒唐無稽の設定が多い高橋留美子さんの作品の中で、「めぞん一刻」の物語はあくまで等身大に描かれる。
数々のエピソードに必ず無頓着に絡んでくる一刻館の住人達の引き起こすドタバタが、二人の間を何度も阻害したり危機に陥れたりと、読者を何度となくハラハラさせるのだが、それぞれが実に味わいの深い人物像であり、この人たちの存在無くしては5年に渡る連載は不可能だったろう。
「めぞん一刻」全166回の最初と最後では響子さんの顔がまったく違うのがおかしくてしようがないのだが、読み返してみると、早い段階で絵のタッチが今の作品風に変わっていった。
あの柔らかい絵のタッチ、大人のギャグセンスとテンポの良さ、そして随所に散りばめられた美しい言葉と心の描写。
実際に連載していた6年間と物語の時間の流れがリンクしていたこともあって、主人公の音無響子と五代裕作の二人を中心に、登場人物も読者もまた共に成長していった。雨の夜に二人が結ばれた時、読者も一緒に抱き、そして心を抱かれた。
死別した夫の面影をどう断ち切って、二人が結ばれるのか?読者の興味は五代と響子の振る舞いに注がれる。やがて二人がそれぞれにその答えを出したのは、結婚を目前に控えてのことだった。それほどまでにこの世にいない「初めての人」の存在が、最初から最後まで切ないまでに影を落とす。このとき響子の亡き夫の墓前で手を合わせる五代の言葉で、どれほどの人が泣いたことだろう。
桜散るエンディングに見せた赤ちゃんを抱いた響子さんの顔は、もう読者の手の届かない至福の世界の住人であることを語っていた。幸福を掴む一つの大事な何かを暗示して、「自信を持ってリアル世界で人を愛しなさい」と、読者の背中を優しく後押ししてくれたように思える。
最終(15)巻には名台詞がいくつかあるけど、僕は14巻でライバルの三鷹が、不本意ながらも結婚することになった相手の女性を心から受け入れた時の言葉が心に沁みた。
「ゆっくりと しあわせに なりましょう。」
今でも13・14・15巻あたりは胸がキュンとなる。
今後この「めぞん一刻」を超えるものに出会えるだろうか?
いや僕は出会いたくない。
「めぞん一刻」連載の終結と時を同じくして昭和が終わった。
携帯電話など無く、ポケベルが緊急時の連絡手段であった時代に、人々がどうやって人を信頼し、愛を育んでいったのか。携帯メッセージの返信が来ないだけで不安になってしまう、現代の恋人達に読んで貰いたい珠玉の作品。
連載をリアルタイムで読んでいた僕らも、平成という新しい時代の中で単なるノスタルジーだけではない、大事な宝物を引き継いでいる。
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の売る宝くじは売れないそうです。
ここんとこタヌキの姿を見ません。
冬だからってのもありますが、餌になる小動物が殆どいなくなってしまったからかな?
この写真は3年くらい前のです。
さっつんの家の窓から撮影
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南北戦争の南軍がそのまま政党になったのが、米民主党。
北軍が共和党。
南部の田舎は情報不足で、根強い有色人種への偏見。そこを選挙地盤に持つ議員の集合体が、外国の主権に対する侵害も甚だしい決議案をまとめあげようとしている。
今まで日本に貿易摩擦等の言いがかりをつけたり、中国にすり寄った方針を打ち出して日本を貶めた民主党。
去年民主党が下院で過半数を取ったのは、イラク戦争で派兵されて死亡した兵士の多くが、失業率の高い田舎町からの出身者であったことから、草の根的な厭戦気分が大きなうねりとなっていったことに起因する。
また、リベラルな議員が比較的多く、偏狭な正義感による言動も多い。初めての女性大統領になるかもしれないヒラリーもその筆頭である。
我が国の首相の言動は、人は換われども曖昧であることが多い。もちろんそれは自国民に向けての答弁なのだが、日本にとって国益となる共和党政権を不安に陥れるような言葉の選択をすることもなかろう。
安倍首相は明らかに言葉足らずであった。くすぶり続ける朝鮮人慰安婦問題への説明・回答になってない。
あるいは再調査を指示し、嘘をつき通す人々と、政府間で支払われた金を使い込んでしまった某国政府に対して牽制をすべきであった。もしも調査によって慰安婦問題に新たな真実が発見されれば、それはそれで政府発表として認めるところは認めればいい。
日本に原爆を落としたのも民主党政権。ジャパンバッシングを演出したのも民主党政権。急に中国に接近したのも民主党政権。
こんな下劣な者どもにとやかく言われる隙を作る我が国も情けない。
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米下院、慰安婦決議案への支持広がる=首相訪米時の「踏み絵」に
(時事通信社 - 03月10日 15:10)
【ワシントン10日時事】第二次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に謝罪を求める決議案を審議中の米下院で、同案支持の動きが広がってい る。安倍晋三首相が「狭義の強制性」を否定したことなどを受け、当初6人だった決議案の共同提案者は10日までに40人を超えた。米メディアでも日本に厳 しい論調が目立ち、首相訪米を控え、大きな火種となる可能性が出てきた。決議案の代表提出者のホンダ議員(民主)の事務所によると、9日時点で共同提案者 は共和・民主両党の計42人で、さらに増える見通し。リベラル派議員が多いが、軍拡や移民規制強化の主張で知られる保守派のハンター前軍事委員長(共和) も名を連ねている。
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